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言わずと知れたルノアールの傑作のひとつです。


だれでも一度はこの画を目にしていると思います。


彼は1880年前後に子供の肖像画の依頼をたくさん受けた様です。


しかし、この画だけは別格の出来で、明らかに彼はこの容姿にほれ込んでいますね。


私は「facebook」に今朝のルノアールをUPしてまして、2016年11月23日現在で(その84)まで来ています。


友人が手作り弁当のUPで200回を迎えるにあたって、さんざん煽ったので、私の(その100)は普通のルノアールではダメなんです。


そこで、思いついたのが、この画を模写してUPしてやろうと・・それも「鉛筆」と「色鉛筆」で・・・・


この思いつきがとんでもない結果をまねきます。


表情はともかく、髪の毛が全く表現できません。


最終的には髪の毛を一本一本 0.3mmのシャープペンシルで描くはめになりました。


とほほ・・・です。


ルノアール作品集を見たい方は下のリンクを。 現在の不肖、私が描いた試作を見たい方はもう一つ下のリンクをクリックして下さい。


合掌。

レンブラントと言えば「夜警」が有名ですが、私はこの画の方が好きです。


今にも沈みそうな船、迫力がありますね。


ぐっと心を引き付けられました。


この画はキリスト教と深い関りがあります。


「ガラリアの海の嵐」は、ガラリア海でキリストと弟子たちを乗せた船が嵐に巻き込まれる聖書の一場面を描いています。


画面右側に描かれたキリストのみが台風の目のごとく穏やかな様子で神に祈っています。(キリスト分かりますか?)拡大してもらえば分かるはずです。(左側を向いてます)


登場人物の中で、ロープを掴み、唯一こちらを見ている男はレンブラント自身です。(左側にいます)

これほど風変りな画はあるだろうか?


150年も前に、どこからこんな発想が生まれてきたのだろうか?


アンチンボルド(名前からして風変りである)は、1527年 ミラノのとても裕福な家庭で生まれました。


当時はとても人気があったらしいです。


彼は、画家としてそのほとんどを宮廷画家として過ごしました。


この画が君主に受け入れられたのですね。


亡くなる1年前には、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の肖像画をこの手法で描きました。


日本では不敬罪ですね。


画の下のリンクを探してもらうとルドルフ2世があります。(ここには、色々な画家の画がごちゃまぜにありますから、それはそれでお楽しみください。)


「近代美術はゴヤの自由から生まれた。」との言葉通り、ゴヤは、それまでのルネッサンス美術から

新しい境地を開拓した人です。


有名な画は「裸のマハ」・「着衣のマハ」ですが・・・・


ヌードのマハと同じポーズで白い服を着たマハです。


一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。


この画は、裸のマハと着衣のマハとの間の時期に描かれたものです。


夫人は、ちょっと無表情な感じですね。


ゴヤは、非常に複雑な心境で夫人を描いたと言われてます。


それが、一定の距離を保った、いわばあえて客観的に描こうとしたんだと思います。


コヤの複雑な心境、出てますでしょうか?


モネの日傘の女性には、右向きと左向きがあります。(実は妻子を描いた同様の画も存在しますが)


この画は右向きで、まだ顔の表情が読み取れる感じがします。


モネは後に左向きの日傘の女性を描くのですが、その女性からは表情が全く読み取れません。


モネが語った言葉で「女性も風景と同様に描きたかった」というのがあります。


モネの神髄を語っている気がします。


第1回印象派展に出品された作品です。


最初は「日の出」だけの題名でしたが、短すぎるので「印象」を付けたと言われてます。


この、「印象」という言葉は、当時としては悪い意味で使われてました。


批評家たちは「未完成で誰でも描けるような画」・「印象」だけが残る画だと・・・・


第1回印象派展は、それまでの「サロン」(官展)の旧態依然とした選出方法に反発した画家たちが開いたものですが、民衆には受け入れられたものの、批評家たちはさんざん酷評したものでした。


この画は「印象派」の語源となったことでも、意味ある画でしょう。


モネは間違いなく印象派の画家ですが、ルノアールは作風の変化から、印象派とされたりポスト印象派とされたりします。




ひまわりという素材は、キリスト教(カトリック)の宗教画の時代からたくさん描かれてますが、


一番有名なのはゴッホの「ひまわり」じゃないでしょうか。


私が小学校のころの教科書にも載っていたような気がします。


さて、ゴッホという人、生きている間に画は1枚しか売れなかったのです。


弟(画商)の庇護のもとで、画を描いてました。


命を燃やす様に画を描き続け、若くして亡くなりました。


なぜ、亡くなったのかは想像にお任せします。


精神的には、いわゆる一般人とは違う人でした。


私は、ゴッホの精神性と画の評価をあまり結びつけることは嫌いです。


画は画として、素直に評価したいです。




この画をフェイスブックでUPしたら、非常に反響がありました。


こういうタッチを好む人は多いと思います。


気持ちいいですもんね。


英語で Reflection とついてます。反射も Reflection です。


熟考の意味もありますので「熟考」と名付けました。


意外と、有名な画以外は日本語の題名が固まっていません。


ゴッホの「ひまわり」は誰が何と言おうと「ひまわり」ですが・・・・


ルノアールの画の中でも、特に花の画はたくさんありますし、 Still Life with Roses 3というふうに人によって番号を付けていることもあります。


西洋の画をネットで調べると90パーセント以上が外国のページなので、ここでは全て日本語の題名を付けて行きたいと考えてます。




真珠の首飾りの少女より芸術性が高いと言われてます。


フェルメール渾身の一作とも言われます。


何を描いているのか? 書いている人はフェルメール自身であるのは定説ですが・・・


フエルメールは19世紀後半に美術史家であり画商であるトレ・ビュルガーに見直されるまで、歴史の中に埋もれていました。


その後、贋作事件や、ナチスによる強奪事件等、話題には事欠かない作家となっています。


おそらく、モナリザの次に世界で有名な画ではないでしょうか。

1665年の作品です。


フェルメール自身は、この翌年に描いた「絵画芸術」という作品の方がお気に入りで、死ぬまで手元に置いていたという話です。


フェルメールは生涯、30何点かしか作品を残しておらず、ルノアールの2000点に対してあまりにも少ない作品数です。